小野 盛司 (おの せいじ)

1946 年

広島県 尾道市 生まれ

1974 年

東大大学院 理学系研究科 終了
理学博士の称号を得る

1974 年

1974年〜1984年カリフォルニア大学、パリ大学、CERN等にて、素粒子論の研究と教育を行う。ウイーン大学教授資格試験審査員。1984年帰国し東大理学部に属しながら東大英数理教室を設立。教育ソフト「PC教育シリーズ」を開発、学習ソフトとしては記録的ヒットとなる。1998年と1999年の教育映像祭において優秀作品賞受賞。

 

現在

株式会社 東大英数理教室 代表取締役
学習心理研究所 所長
メディアハイテック株式会社 代表取締役
日本経済復活の会 会長
 

所属学会

日本心理学会日本理論心理学会日本進化学会日本物理学会日本認知科学会  
 
 
日本経済復活のための提言
 
【書籍ご案内】 2002年12月初版発行

政府貨幣発行で日本経済が蘇る

―世界を代表する経済学者達の提言に耳を傾けよ―

著者:小野盛司 発行所:東大英数理教室  価格:1400円
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【書籍ご案内】 1999年12月20日初版発行

人間の行動と進化論 

―ドーキンスの利己的遺伝子説の限界とその改良―

著者:小野盛司 発行所:東大英数理教室  価格:1400円
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【解説】    
 テレビで頻繁にでてくるので、ドーキンスの利己的な遺伝子という仮説についてご存じの方も多いのではないでしょうか。この説でドーキンスはノーベル賞確実という人もいます。ドーキンスは「人間が利己的なのは誰のせいでもない。遺伝子が利己的だからだ。人間も動物も、皆、遺伝子の乗り物にすぎない。」と主張します。この主張に対し著者は真っ正面から反論します。数十の具体的な例を挙げドーキンスの仮説の欠陥や限界を指摘します。ドーキンスは当然この指摘に対して反論してくるでしょう。予想される彼からの反論に対する反論もすでにこの本には書かれています。私の計画の第一段階はドーキンスに利己的な遺伝子という考えに限界があるということを教え納得させることです。 この本の最終目的は単にドーキンスの仮説の誤りや限界を指摘することではなく、より広範な説明能力を持つ仮説を提示することにあります。著者は人間や動物の思考や行動を制御する仕組みがコンピュータに非常によく似ていることを指摘し、コンピュータとの類推を行いながら仮説を作り上げます。コンピュータプログラムに相当するディスクリミネータと呼ばれるものに、人間の思考・行動が支配されていると仮定します。その結果、群淘汰説や利己的遺伝子説のような従来の進化論ではとうてい説明不可能であった「善悪の基準は何か」、「社会はどちらの方向へ変化していくのか」、等という我々の生活に密接に関係がある事柄ですらカバーできるようになりました。
 
【このテーマに関する講演】
(1)「人間とは何か」東工大にて、(1967)
(2)「人間の行動と種の保存」心の科学基礎論研究会(1999年7月10日)
(3)「人間の行動と種の保存−ドーキンスの利己的遺伝子説の限界とその改良−」
   日本心理学会第63回論文集21頁(1999年9月)
(4)「人間の行動と進化論」日本理論心理学会第45回大会(1999年11月)
(5)「多重レベル淘汰における利他行動の進化:コンピュータシミュレーションによる解析」
   東大理学部の三沢氏との共同発表
   日本進化学会第2回大会(2000年10月7日)
(6)日本遺伝学会 お茶の水女子大学(2001年9月24日)
   アミメアリと Multilevel Selection :個体淘汰で有利な大型ワーカーと、コロニーレベルの淘汰で有利な小型ワーカーの争い
   三沢計治(Pennsylvania State Univ.)、辻和希(富山大学)との共同発表
(7)日本進化学会 京都大学理学部(2001年10月6日)
   複数レベル淘汰のモンテカルロ模型:利己的個体の増殖を阻止するSA
   splitting 辻和希氏(富山大学理学部)との共同発表
(8)国際社会性昆虫学会議 北海道大学(2002年8月1日)
   Group selection vs. mutation balance can explain the occurrence pattern of selfish phenotypes: a computer simulation model for the parthenogenetic ant.
   辻和希氏(琉球大学理学部)との共同発表
 
【著者のコメント】
 「人間の行動はすべて進化論で説明できる」という確信を得たのは今から30年以上前の事であった。最初にこの説について発表をしたのは東工大であり、当時は宮城音弥氏を始めこの話を聞いた人々は「そんなばかな!」と驚いていた。宮城氏からは芸術・戦争・自殺等の意味、注射はなぜ痛いのか等次々と質問が浴びせかけられたものであった。しかし1999年の再挑戦でこの説を紹介して驚いたことは、「そんなばかな!」といった意見は影を潜めそれに替わって焦点がドーキンスの説との対比に移ってきているように思えることである。すなわち人間または動物の行動が種の利益のためか遺伝子(あるいは個体)の利益のためかという議論である。この点において2000年の始めevolveという進化生物学者が作るMLにおいてこの本の内容に関連して多くの議論を行った。交わされたメールの数は実に百数十通に上る。そして私はドーキンスの利己的遺伝子説が正しくないことの確信を得た。現在コンピュータシミュレーションの結果を元に論文の形で発表しつつあるところである。一つお詫びをしておきたいのだが、この本で使われている種の保存という言葉の意味は、進化生物学者が使っている意味とはかなり異なるということである。ここでいう「種の保存」の種とは単に集団という意味であり、その構成員の数は1でも実在する群れの数でも種全体の個体数でもよいと仮定している。つまり個体レベルの淘汰も集団レベルの淘汰も種レベルの淘汰も全部含めているのである。進化生物学者にとっての種の保存とは、種レベルの淘汰だけであり、全く異なる意味で使われていることに注意して頂きたい。
 
【本書に寄せられたコメント】

  「大変広い領域にわたり問題を「進化」との視点から理論化されたものとして、今、適応進化という枠組みから家族変動をモデル化しているわたしに、大変刺激的でございました。」

白百合女子大教授  柏木恵子

  「大変独創的なお仕事で、示唆に富んでいるという印象を持ちました。」

慶成会老年学研究所 黒川由紀子

  「人間の行動を大きく支配するものが、個体保存の欲求か、種の保存かという問題については、古くから提起されてきており、生物学者や心理学者がさまざまな視点からこれを論じてきた。

  精神分析学者S.フロイドは、性欲という種の保存の欲求を人間行動の原動力としてとりあげた。また比較行動学者K.ローレンツも、種に固有に遺伝的に組み込まれた行動様式を解明すると共に、種の保存のための行動に着目した。この立場が、進化を種の利益のためとみなすW.エドワーズの群淘汰説へとつながる。一方個体保存の欲求を重視する立場は、R.ドーキンスの利己的遺伝子説に引き継がれ、各個体が自己の遺伝子を少しでも多く残そうとする欲求で、動物の行動を説明しようとする。

  この二つの理論の対立は、人間の行動の基本にかかわっているだけに、大いに考えさせられる。現代社会の中で展開されている人間のさまざまな行動も、根本的にはこれらの欲求発現様式にかかわっているように思われるからである。しかしこの点を分析して、人間の諸行動の基本的原因を探り出すのは、容易な作業ではない。進化論の研究動向に精通した学識を踏まえた上で、あくまで科学的な視座から広い視野で人間の行動をとらえていく鋭敏なまなざしを不可欠とするからである。時には、あえて冒険的ともいうべき仮説を立てて、思索を進めていくことも必要となるだろう。そのようにかねがね内心に抱いていた期待に完全に応えてもらえたのが本書である。

  著者の小野盛司氏は、物理学を専攻し、素粒子論の分野では国際的に高い評価を受けている。しかし実験室の中に閉じ込もる単なる研究者ではない。子どもの教育に関心を持ち、その学習指導の方法を研究したり、パソコンの学習ソフトを開発するなど、きわめて実践的な科学者である。しかも広範囲にわたって、関心を寄せ、多方面の書物を読破していく教養人でもある。本書の執筆に先立って、その構想を聞かせていただく機会があったが、その折りに発したわたくしの何げない発言をヒントに、読書範囲をいっそう広げ、疑問点を解くために専門家を訪れ、著者の仮説の理論的裏づけをより確かなものにした行動力に、わたくしは目を見張った。

  また著者は、たいへん独創的な資質にめぐまれている。そのことは本書の至る所で発揮されていることに、読者は気付かれるだろう。進化論における二つの立場を徹底的に吟味した上で、著者独自の立場から、議論を展開しているが、そこではとくに2段階淘汰説−ディスクリミネータ・モデルなどが中心概念にすえられ大胆な仮説を設定し、一つ一つの問題に説得的に論を進めていく。その過程の至る所に、豊かな発想がほとばしり出ており、絶えず思いがけない事例に結びつけて説明されているため、難解な理論も抽象的という感じがせずにむしろ、議論の興味に魅せられ、その論述の中に思わず引き込まれてしまう。それだけに、著者の所論を大いに納得いくものにしている。

  このようにして人間の諸行動が新しい視点で見直されていくにつれ読者も著者といっしょに思索しつつ、人間の行動の理解をいっそう深めていくこととなるだろう。」

             大妻女子大教授 電気通信大学名誉教授  滝沢武久

  「人間の行動に対する決定因が脳にあるのは確かだろうが、著者はそこにコンピュータ・モデルを考える。入力の決定因にも3種あり、書き換えが自由なもの、一回だけ書き込みができるもの、そして書き換えができないものとがある。書き換えができない究極の決定因として、人類の種の保存が主張される。この視点から著者は無意識・経済・戦争・犯罪・芸術・宗教・道徳・マスコミその他の人間のあらゆる営みの意味を解き明かす。その説明範囲の広さと合理性はフロイト説を上回る印象を与える。もう一つ注目されるのは、文明論とか人類観がとかく宿命論・虚無主義に傾きやすいのに反して、この種保存説は種々の警告は怠らないものの、人間による操作可能性を残していることである。いわばソフト決定論またはソフト自由論ではないかと思われる。従来の論説にあきたらない人々に検討をお願いしたい。」

  「大作「人間の行動と進化論」を恵贈たまわり、ありがたく拝見しております。ディスクリミネータ(判別装置)という概念は巧妙な設定と存じます。ディスクリミネータに逆らう自由はないけれど、これのプログラムは書き換え自由な部分(RAM)と一回だけ書き込みができる部分(R)と書き換えが出来ない部分(ROM)からなるとする点が絶妙と思います。心理学の世界では、(意志−)自由と(因果−)決定の関係について明確な設定をした理論は・立場はないように思います。暗黙のうちの決定論、あいまいのうちに意志自由論の容認の態度になるのが現状です。御説は、決定論的状況([動物は人肉を食ってもよい]思想は起こり得ない)と、行為の選択可能な状況の両者を含んで説明できる枠組みとして、しかも自然科学的事実と連絡できる理論として、稀なる理論構成で、貴重なご研究と思います。」

                      東北大学名誉教授  (財)福来心理学研究所所長  文学博士  黒田 正典

【読者の声に答えて】

この本の内容に関し読者からの質問とその答えを書きます。

  Q.フロイトの精神分析を否定はしないのですか。

A.否定しません。無意識という言葉をディスクリミネータという観点から見直してみると、見通しがよくなりさらに解明できる分野が広がるということです。

  Q.ドーキンスの利己的遺伝子との関係はどうですか。

A.この本を読むと否定しているとの印象を受ける方もおられるかもしれませんが、2段階淘汰と言っているわけであり、利己的遺伝子説は第一段階淘汰に含まれるわけです。つまり利己的遺伝子説を含み、さらに第二段階淘汰の部分で説明可能な範囲が広がったということです。ドーキンスは第二段階淘汰の部分まで遺伝子保存という考え方で説明しようとしていますが、これは天体の運動を天動説で説明しようとしているようなものです。地球を原点として天体の運動を説明することは力学的に可能ですが、計算を複雑化するだけであり、地動説に劣るわけです。第二段階淘汰を遺伝子保存という考え方で説明することは天動説同様、害あって益なしです。

  例えば人類はかつては、人口500万程度でしたが霊長類の中には2000万もいたものもいました。しかし現在は人口は60億にも達しています。このように種の個体数が一気に増えることがあります。どのような場合に個体数が増えるのか、どういう場合に種は絶滅するのか、遺伝子保存という立場で説明してみて下さい。遺伝子の保存能力の差が原因ですか。それは違います。遺伝子保存能力が高まっても他人の子殺し等によって高める場合もあり、種の利益とは関係ありませんから種の個体数が増えるとは限らないのです。このように利己的遺伝子説は種に属する個体数の変化という進化にとって最も基本的な事柄に対して何も言うことが出来ないのです。これは種の利益、種の保存の能力という言葉を使えば簡単に説明できる事柄です。これを無理矢理遺伝子保存という言葉で置き換えることはできません。

Q.他の説に比べ本書で述べられた説は特にどういう点で改善されていると思いますか。

A.例えば善悪の基準の意味を考えて見てください。我々にとってこれだけ重要な問題が科学の範囲外と今までは考えられてきました。例えば群淘汰説を考えれば、種の利益が善、種に害になることが悪ということになるでしょう。その考えに従えば種の保存に役に立たない老人や病人、障害者等は殺してしまうのが善ということになり現実とはかけ離れたものになります。一方利己的遺伝子説だと、自分の遺伝子を残すための行動が善、それに反するものが悪ということになり、他人の赤ん坊を殺して食べても良いということになります。ミームという考えを導入しても善悪の基準判定には役に立ちません。それに比べて本書で述べられた説ではディスクリミネータの解放という概念が導入されており善悪の基準は何かが説明されています。これにより今まで我々が善悪を何によって決めていたのかが客観的に理解できるようになりました。

Q.ディスクリミネータを解放するものは何ですか。

A.人間自身です。太古の昔、人間のディスクリミネータは他の動物と同様解放されていませんでした。芸術も娯楽施設もスポーツ施設も無かったので、そう簡単にディスクリミネータをプラスにはできませんでした。飢餓に貧すことも多く、外敵の襲撃の恐れも常に存在し、病気の苦痛を除く手段も持ち合わせていませんでした。すなわちディスクリミネータのプラスとマイナスが混在する中でプラスを求めマイナスを避ける努力が種の保存の行動を誘発するしくみになっていたのです。ところが現代は種の保存のために行わなくてはならない行動は非常に短時間で終わらせることができるようになりました。それ以外に膨大な時間が残されたわけです。そこで人間が選んだのは、種の保存に関係ないものであったとしても、ディスクリミネータをプラスにし、マイナスを防ぐような行動です。そんなことをしなくても良いではないかと言えば種の保存だけを考えればそうかもしれませんが、我々の行動はディスクリミネータに支配されているのですからどうしてもそうなってしますのです。ですからディスクリミネータの解放はディスクリミネータに命ぜられた人間が行っているのです。

Q.感覚、感情、反射、条件付け、手続き的記憶等、様々な言葉で表されているものをすべてディスクリミネータという一つの言葉に置き換える意義は何ですか。

A.心理学の本には進化という言葉がでてきませんし、進化論の本には心理学の言葉は使われていません。しかし感覚、感情、反射、条件付け、手続き的記憶等、様々な言葉で表されているものすべてが進化の結果生まれたということを強調したいのです。この本は両者の橋渡しをするために書かれましたしディスクリミネータという概念はその目的で導入されたわけです。ですから心理学と進化論の関係を調べるときにディスクリミネータという概念が使われるべきで、心理学の中でさらに深く解析を進めるときは必要に応じ、感覚、感情、反射、条件付け、手続き的記憶等の言葉を使っていけばよいのです。ただ感覚記憶、宣言的記憶、手続き的記憶、エピソード記憶、意味記憶等の分類とは別に機能面から考えて通常の記憶とディスクリミネータ(命令記憶)の分類を行うというのは意味があることで、別な角度からの分類法を提供するわけです。本能や刷り込みまで含めてシステマティックに分類できます。

  Q.スキーマ(schema)との関連はどうですか。

A.本書の説ではディスクリミネータが作られるとそのまわりにD場とよばれる場が生じ、その場の上に書き込まれる記憶やディスクリミネータは、一定の方向付けを強制されるわけです。これは空間に磁石を置くとそのまわりには磁場が生じその中に磁石を置くと一定の方向に向くことを強制されることに似ています。磁場が生じている所に砂鉄をまくと磁力線に沿って砂鉄が模様を作ることは良く知られています。つまりROMの中のディスクリミネータが変化しませんから、常に特有のD場を生じていますし新しい経験をしてRAMの中にディスクリミネータが新たに書き込まれると新たなD場が生じるわけです。このおかげでディスクリミネータに矛盾するような事柄で出くわすとD場のはたらきでそれを歪曲し整合性を保とうとするわけです。この考え方はスキーマという考え方をよく似ています。

Q.本書の第3章は忘却を扱っています。例えば学習時とテスト時の環境が再生成績に与える影響に関する実験の結果は通常符号化特定性理論で説明されていますが、これをどのように説明しますか。

A.グリーンスプーンとランヤードは、記憶させる環境と思い出させる環境を静かな部屋と騒々しい部屋で変化させて、どのような場合思い出しやすいかを調べています。その結果学習時をテスト時で同じ環境であったときに再生成績がよいとの結論を得ています。環境を変え水中と陸上で比べた実験や悲しいときと楽しいときで比べた実験もありますがいずれも同様な結果が得られています。これらの実験結果を本書の言葉で説明するなら次のようになります。

  静かな部屋、騒々しい部屋、悲しいとき、楽しいとき、水中、陸上。これらの環境ではそれぞれ特有のD場が作られ、その上に記憶データが一定のアクティビティーで書き込まれるわけです。この実験結果より環境が変わるとD場が変化し、それに伴って記憶データのアクティビティーが下がることを意味しています。つまり記憶データのアクティビティーは記憶データの書き込まれた環境に戻したときが最大になるということです。これは種の保存と密接に関連しています。同じような状況に置かれたときは、その時と同じような記憶がよみがえることを意味しているのです。例えば獣に襲われたとしましょう。それを同じ状況が訪れた場合はできるだけ、その時の経験が忠実に思い出された方がよいのです。あるいは美味しい食べ物が手に入ったときと同じような風景に巡り合わせたら、同じような方法で同じような食べ物が手に入る可能性が高いのです。このように記憶のアクティビティーが、書き込まれた環境において最大になるようになっているために種の保存が容易になるのです。

Q.忘却理論には減衰説と干渉説がありますが、これらとの関係はどうですか。

A.本書の第3章に書いたように忘却には2種類あります。第一の忘却は減衰説と同じで記憶痕跡が消えていく場合です。私が述べた第二の忘却は干渉説とは異なります。干渉説とは、例えば単語を覚えるとき、1つだけなら覚えやすいが、その単語の前あるいは後に沢山単語を覚えればその単語の記憶は消えやすい。これは干渉によるものだとする説です。私の説では次のような説明になります。単語を1つだけ覚えるときはそこにアクティビティーが集中できるので、その単語のアクティビティーは容易に閾値を越すことができる。沢山単語を覚えるときは、アクティビティーが分散してしまいます。単位時間あたりに与えることができるアクティビティーの総和には限度があります。従って多くの単語にアクティビティーが分散してしまい、特定の単語のアクティビティーが閾値を越す確率がどんどん下がってきます。沢山の単語が次々と呈示され覚えるように言われたとき、覚え始めは「貯まっていたアクティビティー」を一度に与えることができるので比較的覚えやすくなりますが、どんどん単語が呈示されてくるとアクティビティーの貯えがなくなっているわけですからだんだん覚えにくくなります。呈示がストップするとその後は、最後あるいは終盤で覚えた単語にアクティビティーを与え続けます。ですから最初と最後に呈示された言葉は覚えやすいことになります。

Q.干渉説に比べどのようなメリットがあるのですか。

A.干渉説ではディスクリミネータが記憶のアクティビティーを変化させて、思い出せるようにしたり、思い出せなくしたりできるということが全く説明できません。このことは本書で詳しく述べました。これは無意識、催眠、多重人格等を説明するときに必要になります。この説明にはアクティビティーの変化により記憶情報の想起可能性が決定されるという仮定が必要であり、干渉説では全く説明不可能です。例えば多重人格を考えてみて下さい。その人が人格Aと人格Bを持っているとして、人格Aのときは人格Bの記憶情報の想起は不可能です。干渉説ではこの説明はできません。実際は人格Aのときは、ディスクリミネータが人格Bの記憶情報のアクティビティーをすべて閾値以下にしてしまうから想起が不可能になってしまうのです。

  催眠術者が被催眠者の催眠中に「目が覚めた後は思い出せません。」と暗示をかけておけば催眠が  覚めた後、特定のことに関しては想起ができなくなる。これも干渉説では説明が不可能でディスク  リミネータが記憶のアクティビティーを上げたり下げたりすることができると仮定すると理解でき  る。無意識に関しても全く同様な説明が成り立ちます。詳しくは本書をお読み下さい。

  干渉説は単に忘却という現象を説明しようとしているだけである。しかし重要なのは忘却には、そ  れなりの役割があるということである。例えば催眠術の場合、被催眠者が暗示にかけられれば、特  定の事柄を思い出せなくなるのは、それにより被催眠者が催眠術者の命令により忠実に従わせるこ  とができるという意味を持っているし、多重人格の場合は、虐待を受けたような場合、いやな出来  事を忘れ平和な生活の時間を持つことが可能になるのである。

Q.リスト学習の実験において証明されていることですが(例えばPostman1961)、第2リストとしてA−C連合を学習することにより、第1リストとして学習したA−B連合は消失するが、実験的に習得されたA−C連合は、実験前に習得されていたA−B連合の再生に干渉しないということは説明できますか。

A.できます。

  単語のアクティビティーが高くなれば単語間のリンクは強くなります。2つのリンクの強さが単語Aのアクティビティーと単語Bのアクティビティーの積に比例すると仮定してみます。最初単語Aと単語Bとそのリンクを教えた場合、両単語のアクティビティーは弱く、それ故にリンクも当然弱くなります。後で単語Aと単語Cとのリンクを教えると、単語Aを学習するのは2度目ですからアクティビティーが前より強くなり(例えば2倍になるとしましょう)リンクも強く(例えば2倍に)なります。この場合前に教えた単語Aと単語Bとのリンクより単語Aと単語Cとのリンクの方が2倍強くなります。閾値が1倍と2倍の間にあれば、A−C連合の学習によりA−B連合が消失ということになります。

  ところが実験前にA−B連合が習得されていたとすれば、かなり長時間にわたり単語Aと単語Bの記憶が存在しつづけたのですから単語AもBも相当なアクティビティーが継続していたと考えられます。例えば両者のアクティビティーを2とするとリンクの強さは積で4になります。その後実験でA−C連合を教えたとき、単語Aのアクティビティーが3、単語Cのアクティビティーが1になったとするとリンクは積で3となるだけですからA−Bのリンクが消えることはないのです。この説明では干渉という言葉を使う必要がありません。

Q.未知の人を刺激項目とするより既知の人を刺激項目とする方がはるかに容易に新しい連合が学習できることは説明できますか。

A.できます。干渉理論では、既知の人はすでに多くの連合ができているはずなので、逆の結果を予測します。ここで述べたモデルでは既知の人の記憶のアクティビティーが未知の人のアクティビティーより高いために上記で述べたと同様な議論で既知の人を刺激項目とした方がリンクが強くなります。

Q.一般に再生テストのほうが再認テストより難しいことはどのように説明しますか。

A.記憶データのアクティビティーが一定レベルより低いと再生はできません。ところがその記憶データの再認を求められた瞬間にその記憶データのアクティビティーが上昇し再生可能になることがあります。そのようなときは再生テストのほうが再認テストより難しいということになります。このように再生ができるアクティビティーの閾値のようが再認のできるアクティビティーの閾値より高いのです。

Q.干渉理論では順向抑制や逆行抑制が実質的に忘却を引き起こしていると考えられていますが、これについてはどう考えますか。

Q.再生可能語の再認失敗(WatkinsTulving, Journal of Experimental Psychology:General,104,5-29(1975)と呼ばれる現象をどのように説明しますか。

A.これは再生の2過程説を否定した実験である。我々は再生の2過程説を使っていないのでこの実験で困難に陥ることはない。Tulvingとその共同研究者達は再生可能語の再認失敗と称して様々な実験を行っている。彼らの実験結果を説明しようとすれは、各々の実験について別々の説明をしなければならないであろう。

  例えばtoothACHEairPORTなどのようにA−B対でA項およびB項は1音節英単語で、一緒に  すると有意義な単位、つまりイディオムとなるような単語対を多数完全学習させる。その後、B項  の単語を新しい単語にまぜて並べ、学習した単語を選ばせると90%うまくいくが10%は失敗す  る。この10%が再生可能語の再認失敗である。この実験の我々のモデルを使った説明は次のよう  になる。

  例えばairportを学習し再生可能なアクティビティーのレベルになったとしても、必ずしもPORTが再  生もしくは再認可能なアクティビティーのレベルになったとは限らないのである。PORTは甘いワ  インという意味もあり、そんな単語はなかったぞと思いこんでしまうこともあるのである。